25日、神奈川県鎌倉市内の病院に入院した男が、病院関係者に「自分は桐島聡」と名乗り出たことで明るみになったこの容疑者。
1970年代の連続爆破事件に関わり、75年4月18日に東京都中央区銀座のビルに入居していた「韓国産業経済研究所」に手製爆弾を仕掛け19日未明に爆破させ指名手配されていました。
約49年もの逃亡生活で使用して来た名前はなんだったのか?
いったいどのように生活をして来たのか?
詳しく紹介していきたいと思います。
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容疑者の偽名は?
25日、神奈川県鎌倉市内の病院に入院した男が、病院関係者に「自分は桐島聡」と名乗り出たことで明るみになったこの容疑者。
それまでの生活では「ウチダ ヒロシ」という偽名を使い、数十年前から住み込みで神奈川県内の工務店で働いていたことが分かりました。
なぜ、ここへ来て本名を名乗る気になったのでしょうか?
最期は本名で・・・
神奈川県鎌倉市内の病院に入院した桐島聡容疑者は、末期の胃がんを患っていて今も時折意識を失うなど、危篤状態とのことです。
会社の従業員に付き添われて病院に運ばれ、保険証などを提示せず自費で診療を受け身元を隠して来た桐島容疑者ですが、「最後は本名で迎えたい」と話している事が分かりました。
男は入院前、神奈川県内の工務店で病院での偽名と同じ名前で勤務していたとみられ、海外に滞在していたとする趣旨の説明もしている。末期がんで「最期は本名で迎えたかった」とも話しており、公安部はDNA型鑑定で身元の特定を進めるとともに、男の容体が悪いことから逮捕後の勾留に耐えうるかどうか、慎重に見極める方針だ。
かなりの重篤な状態ということで、本人も自身の死期を察して本名を明かす決心がついたという事なんでしょうか。
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どのように49年も逃亡生活をして来たのか?
神奈川県藤沢市内の工務店で住み込みで働いており、勤務先にほど近い、古びた木造2階建て住宅に一人で暮らしていたといいます。
工務店側は、男性が桐島容疑者である可能性があるという事は認識していなかったそうです。
連続企業爆破事件の一つに関与したとして、重要指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる男が、偽名で神奈川県に潜伏していた疑いがあることが27日、捜査関係者への取材で分かった。海外滞在もほのめかしており、警視庁公安部は支援者がいる可能性もあるとみて調べる。
49年もの間、確かに日本だけで逃亡生活を続けるのは厳しい気がします。
どんな思いで過ごしていたのか・・・想像してもしきれません。
ネットの反応は?
■2000年代頃は、今のようにきっちり身分確認などしてませんでしたよね。 土木会社などは特にそうです。 当時の漫画では、身分不明な奴でも働かせて借金を返させるシーンが良く有りました。(新難波金融道、ミナミの帝王、ウシジマくんなど) 市橋事件で一気に厳しくなったようです。
■1年前には胃ガンの診断を受けていたとの報道があった、健保加入がないから診断後適切な治療は受けられず騙し騙し過ごしてきたのだろうと思う。 逃げ続けることが闘争だと思っていたのだろうけど、50年逃亡してきた最後がこの惨めな状態とは、探し続けた者より虚しさしか残らないだろうな。
■何を思いこの半世紀を生き抜いてきたのか。自分等の起こした事件を今でも間違っていないと思っているのだろうか?半世紀で世界も日本も変わった。その変化を鑑みて何を思うのか。おかした罪への償いは?桐島氏が起こした事件をリアルタイムで見、彼と同じ半世紀を生きてきた自分には、さまざまな思いが去来する。彼の余命は、あるいはもう長くないのかもしれない。しかし、罪を償い、半世紀の行動と思いを語りのこす責務が桐島氏にはある。
■重大な犯罪をおかし捕まることもなく人生を過ごし、人生の終わりに自ら名乗り出る。まあ完全にやり逃げを許してしまうに等しい。捜査側としては負けといわれても仕方がないのかも知れません。まあ組織的な協力援助もあったのでしょうが、逃亡の成功例とならないことを祈ります。逃げおおせるなんて事になり逃亡を企てる容疑者が増えては困ります。最近では交通事故でさえ逃げる選択肢が珍しく無くなってしまった。桐島容疑者をお手本に、そんな風潮にならないことを願います。
■昔の映画なんか見てると朝に決まった場所にトラックがやってきて工事現場にまとめて連れていくシーンがあったから、身元確認なんかしないでも仕事があったのだろうね。 だけどこんなに長く本名も名乗れずにいるより刑務所でおつとめした方が精神的には楽だったのではないか? ちょっと考えさせられるなぁ。
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